12年もブログやってるなんて。
数少ない自分に出来ることだけを
42歳になりました。ちょうどいい写真がなかったので春に仕事で行った沖縄の自撮り写真を載せました(笑)。あんまり興味ないのですが後厄です。体型も体重もここ20年ほぼ変わっていないのでまるっきり安心していたのですが、先日の健康診断でLDLコレステロール(悪玉コレステロール)値が166もあり(正常値は119まで)、思いっきり血清脂質異常と言われてしまいました。とほほ、です。20〜30代は街中の移動は絶対に自転車だったし、遠方のクライアントにも電車とタクシー(時には駅から徒歩30分)を駆使して行ってましたが、ここ2年くらいは近場でも社用車でブーンと行ってしまい単純に運動不足です。前述の数字も確実にそれが影響しているように思うので、街中自転車移動の復活と深夜のウォーキングをすることにしました。ってなんつーつまらない誕生日のブログだ(笑)。豊富とかを語ろうかと思っていたのに、気がついたら健康について書いてました。まるで高齢者ですね。。。そう、42歳の抱負は、「心の声に耳を傾け、自分らしくシンプルに生きる。」です。41歳まではやりたいことは全部やる!くらいに手当たり次第に手を出してきましたが、結局バタバタしてストレスが増えるだけで得るものが少ないどころか(それは自分の事なのでまだいいのですが)、パートナーや周りに迷惑をかけまくってしまったので猛省しつつ、今後はもっとシンプルに自分らしく生きることにします。このままいくとあまり長くなさそうな残りの人生は、苦手分野の克服はとっとと諦めて、数少ない自分に出来ることだけをつなぎ合わせて生きていきます(笑)。
欲しいモノがなかなか手に
あと2ヶ月余りで憧れの40歳。不惑の歳というのが現代に当てはまるのかはいささか疑問だけど、出来ればそうありたいと30代半ばまでは考えていたものです。言い換えると30代半ばまでは人生のベストバランスを早く見つけて、そのバランスをキープしながら生きて行くのが理想だと思っていたところがあった。だけどいろいろ考えていくと、ボクは欲しいモノを手に入れる為にいろいろと妄想したり戦略立てたり準備したりしている時が一番楽しいので、あっち行ったりこっち来たり、フラフラ、ぶらぶらしている状態が最も幸せなんだと思う。つまり、ボクにとっての幸せなんていうのは、しょせん苦しみと悩みの中に存在していることになる。梅雨入りしたばかりのジメジメした天気の中、そんな事を考えています。あー、幸せだなぁ。欲しいモノがなかなか手に入らないなんて、なんて素敵なことなんだろう(笑)。
残された者の使命を
実は今年は大切な人の死から始まった。ずっとそこに居てくれると、なんとなく思っていたのに。まだまだ話したいことも、見せたいものも、行きたい場所もたくさんあったのに、ボク等をおいて逝ってしまった。その人が生きていたら何というかを考えながら歩む日々。その人が自分の死によって何を伝えようとしたのかを考えながら歩む日々。LENS ASSOCIATESという新しい組織を作った今年はとっても重要な年。10年前にOPENENDSを作った時も直前に大切な人を亡くした。生半可な気持ちで生きていてはいけない。飄々とも、悠々とも生きていてはいけない。一生懸命、ただがむしゃらに生きる、あがく。どうせ何も達成することなく死んで行くんだろうけど、やれる事はやる。やれないことにも挑戦する。残された者の使命を果たすために、落ちている場合ではない。おはようございます。今日も一日頑張ります。
仲間に対してもオーラ出せるかが勝負だったり
一つ前のブログにも書いたような事ですが、仕事を請けるってのは、パスを受けるってのに似てると思うのです。受けたパスは必ずゴールしないと信頼を失う。出来れば危なげなく、記憶に残るほど華麗に(出来れば記録も?)。点を決めてくれそうな奴にボールは集まります。だからオレにボールくれればもちろん決めるしヤバいプレイするよ!っと仲間に対してもオーラ出せるかが勝負だったりします。それに「こいつにボール持たせたらヤバそう」というプレイヤーはボール持ってなくてもまわりから注目され続けます。ボクはパスを「くれ!くれ!」言うくせに、最近そのあとの処理があまりうまくいっていない感じがします(詳細は控えます 笑)。迷惑かけてる人たちに申し訳ないなぁという想いをバネにネクストステージに行きたいと思いますので今まで通りビビらずに進みます。決め方はパスが来てから考えます(笑)。
今、ボクは後者の人生を選択していますよ、
ボクは2コ上の幼馴染に憧れて中学からバスケを始めた。ボクの短気が原因でクラスで孤立した3年の時、既に部活は引退していたので心の支えは音楽だった。主にパンク。その後、高校受験に失敗し(とはいえ結果的にいい学校に入れましたが)、ぶっ壊れそうになった精神を支えてくれたのはバスケだった。身長(182cm)よりリーチが10cmも長く、桁外れのジャンプ力も手伝って身体能力には自信があった。実際リバウンドではどんなデカい、どんなゴツい相手にも勝つ自信があった。スクリーンアウトとか必要無いと思っていた。でも監督はボクを事あるごとにビンタしてある日こう言った。「矢野、お前はレギュラーで一番下手だ。」…分かっていたけどショックだったなぁ(笑)。17歳のプライドがポキンと折れた瞬間だった。でも何故か監督はボクが引退するまでレギュラーで使い続けた。練習の後に教えてもらったジャンプ力を上げるトレーニングを真面目に続けたら1ヶ月後には両手でしっかりリングが握れるようになった。最終的には(ジュニアのボールなら)ダンクもできるようになった。でもシュートは相変わらずド下手で、目の前のゴールに全く入らない(笑)。で、ビンタ(笑)。でも、レギュラー(笑)。ただの思い出話だけど、ここにボクのルーツと今後の人生のヒントがあるような気がする。悩みがちな38歳のオッサンが20年前の自分に生きるヒントを貰おうとしてるなんて滑稽だな。シュート練習をするのか、シュートが得意な奴にパスするのか。今、ボクは後者の人生を選択していますよ、矢野くん。
毎日ニコニコしていたいと思う。
明日神戸行ってきます!
明日神戸行ってきます!(これ↑は画像です)知り合いが来ると恥ずかしいので直前に告知しました(笑)。主催者さん、すみません!でも頑張ってきます!詳しくはこちらから→ 松岡賢太郎×矢野まさつぐ「地方におけるグラフィックデザイナーの仕事って?」
仕方ない、これがボクの人生だ。
ボクは19歳からデザイン事務所でバイトし始めて、そのまま就職して20歳から正社員として働き始めました。バイト時代は約半年間、関連会社のフォトスタジオでアシスタントをさせてもらいました。もうあれから18年が経ちました。先輩方に言ったら笑われそうですが、ずいぶん時間が経ったものだと思います(たいして成長してないのに)。よく言われる(?)ようにその人のセンスというかルーツみたいなものは、10代半ばから20代半ばくらいの間に作られる気がします。事実ボクも今だにインプットは続けていて、興味も好みもコロコロ変わったりしますが、基本的な軸足は確実に前述の約10年に存在していたりします。ボクは、大好きなバスケを吐くまで一生懸命やったし、クラブ(高校生の時は年齢を偽って今池のカラーズに行ってました。すみません。)で夜遊びしまくった。スノボもサーフィンもやった、音楽も映画も服も漫画も本もバイクも車も自転車も思いっきりのめり込んだ。M&MよろしくD.I.Y.で部屋を改造しまくった。若気の至りでフリーのデザイナー(今思うとただのニート)も経験した。飲めない酒もたくさん飲んて、酒に飲まれて失敗もした。恋愛も友情も付き合いも社交辞令も。なぜかバンドとDJとタバコはやらなかったな(周りがみんなやってたからかな)。その全部が血と肉となり、今の自分があると思う。振り返ると何もかもが中途半端な人生だ。だからこれからも徹底的に中途半端に生きたいと思う。仕方ない、これがボクの人生だ。上の写真は22歳くらいかな(笑)。
専属アートディレクターに就任しました。
グラフィックデザイナーの悪い癖ですね。
PENDを始めてからまた自分で手を動かしてデザインしているのですが、ずいぶんと長い間“制作”から遠ざかっていたものですから作業が長引いて困ります(笑)。おかげで睡眠時間が2〜3時間くらいの生活がかれこれ数週間(時には完徹)続いています。「作業が長引く」というと手が遅く聞こえるかもしれないので自分の名誉のために書くと(オイオイ!)、ボクは作業イメージが確定してから一気に作るタイプなので手は結構早い方だと思います。ただ作り出すまでが長いので結果としていつもギリギリ(笑)。グラフィックデザイナーの悪い癖ですね。ここ数年自分で手を動かさずディレクションに徹していた間に、一旦出来上がったものを否定して組み直す事の大切さを再確認したこともあり、締め切りギリギリにも関わらずそこからもう一歩、もう一歩となんとか前へ上へとデザインのクオリティを上げようとしてしまうので、いやホントに寝れません。しかし、デザインはホントに楽しいです。いやぁ困ったものだ。ふぁ〜・・・(あくび)。
今から20年後、
38歳になりました。
先日(8月18日)38歳になりました。妻には英国製の革のベルトをプレゼントしてもらい(ま、自分で選んだんですが)、2歳7ヶ月の長女には良く分からない絵を描いてもらい(いや凄く可愛いですよ)、0歳3ヶ月の次女からはしいていうなら笑顔をもらいました(笑)。憧れの40歳まであと2年を切りました。2004年、29歳の時(30歳になる年)で独立したので2014年1月で事務所も10周年。いろいろな節目が一気に迫って来ております。そんなことどうでもいいという考え方もありますが、せっかくなので意識して動いていこうと思います。ただ、よくある「男が40歳までにやっておきたい事」みたいな本は絶対に読まないようにしようと思います(笑)。きっといいことたくさん書いてあるんでしょうが、変に影響されそうなので、それよりもしっかり自分と向かい合ってその先を見るようにしたいと思います。
はっきり言って今のボクは
数年前に「ナゴヤデザインウィーク」のアートディレクションを担当させていただいたことでボクのイメージがそのイベントとイコールになったままの方がいらっしゃるようですが、実はちょっと違っています。はっきり言って今のボクは名古屋のデザインシーンが盛り上がろうと沈み込もうとあまり関係ない。っというより周りを気にしている余裕がないんですね(笑)。自分がまだまだ成長したいのに若手を育成しようという余裕もないし、自分の立ち位置が決まっていないのに、自分の活動しているエリアを盛り上げるためにいろいろ動く余裕もない。むしろ、いかに回りに左右されずに自分の思う事だけを自分のペースでコツコツ実現していきながら前へ進むか、だけに意識を集中したい。ただ、(東京へ行けば何もかも手に入るとワクワクしちゃってる)学生や若手デザイナーの方に「名古屋でデザイン業をするのも悪くないな」と感じてもらう切っ掛けくらいは作りたいかな。どーせボクは名古屋しか知らないしね。
完全に吹っ飛ばせました。
安っぽく子供じみた価値観
絶対に自分の価値観を信じて生きてゆきたいと思う。価値観というとそれらしく聞こえるけど、言い換えるとそれは「カッコイイかどうか」。2つの選択肢が目の前に現れたらボクは絶対カッコイイ方を選ぶ。ただ、それを選んだ自分がカッコイイかどうかが問題で、それ自体がカッコイイかは別の問題。分かりやすくいうと、ポスターの仕事とスーパーのチラシの仕事が入ってきたらどっちを選ぶのがカッコイイか。一般的に考えたら間違いなくポスターの方がカッコイイ仕事だけど、仕事の内容を確認して、チラシを選択した方がカッコイイと思えばボクはチラシの仕事をやるだろう。いかに自分の中だけに存在する価値観を信じて行動できるか、そして選択した行動に責任が持てるか、それだけが重要。最近のボクの座右の銘は「井の中の蛙大海を知らず、されど、空の深さを知る」。誰になんといわれようとも自分の価値観を守り通し、それを軸に全ての行動を起こす。ボクは意図的に井戸の中に籠り、意図的に自分をガラパコス化させる。そして狭い世界の中で自分が思う「カッコイイ」をひたすらに追求し続ける。そんな人生を私はおくりたい。この安っぽく子供じみた価値観だけを信じて。
高校時代からのスタートです。
「あぁ!くそー!悔しい!」と言って
グラフィックデザイナーを募集します。
募集期間:2011年10月19日(水)〜 12月5日(月)
詳しくはデザインの現場WEBをご確認ください。睡眠時間が極端に少ない生活を常に送っているので、家族には心配されているけれど、もうこれはある程度仕方ない。だけどボクの人生計画は長生きを前提に立てているのでぶっ倒れて早死にするわけにもいかない。毎日毎日を全力で生きて、明日死んでも悔いのないように。とか言う人がよくいるけれど、ボクにはそんなの絶対無理だし、そんな短期的な目標だけをみて生きていきたくない。もちろん毎日全力で、というのは意識するけれどボクは、100歳で死んでも「あぁ!くそー!悔しい!」と言っていたい(笑)。最後の言葉は、これで決まり。つまりボクの人生の目標は、死ぬその時まで欲望を持ち続ける事。禅語の「知足(足るを知る)」とは対局ですね(笑)。
冷静に計算するとボクには
「デザイナー 矢野まさつぐ」として
全部、全部、もう全部です。
年末に小さな家を買いました。カミさんとチビ(将来的には出来ればもう一人ぐらいチビ)とボクとで暮らす最小のミニマムライフです。南側にはその小さい家に相応しい小さい庭があります。この庭をナゴヤデザインウィークで出会ったGROUNDの島崎さんにいじってもらう事にしました。今日から3日間工事が続きます。初日の今日は午前中だけ立ち会う事にしたので、今まさにボクの目の前で島崎さんがアシスタントの方に優しく厳しくビシビシ指示を出しています。勉強になるなぁ。オーダー内容は「(ボクの好みで)シンプルにスコーッンとした感じでありながら、花が好きなカミさんのために花が“少し”あって、チビのための“小さい”砂場がある庭」です。花は少し、砂場は小さい(笑)。いったいどうなるのか本当に楽しみです。でも実はこの庭工事の本当の目的は、ボクがゆくゆくは空間のデザインまで手がけたいと思っているので、自宅を実験台にしてランドスケープデザインの勉強のためです。ボクが今まで主にやってきたグラフィックは平面の世界なので、建築、インテリア、ランドスケープ、プロダクト等といった異ジャンルのデザインをやっている方に比べると空間認知能力みたいなものが圧倒的に欠落しています。40歳になるまでの約3年間でこの空間をイメージする力を身につけるためにあらゆる勉強をしようと思っています。ただそれは学校に通うとかではなく、自分(または事務所)のためにお金を使い、それを勉強とするという方法で。まずは自宅の購入と庭工事、数ヶ月後に事務所の外装とトイレのリノベーション、それから事務所の本棚をはじめとした家具、オリジナルプロダクト、と続きます。今までクライアント様のお金で勉強させてもらってきましたが、これからは少しずつ自分のお金を使ってモノを作りながら勉強していこうと思います。ときには在庫を抱えながら。さらにいうと“つくる”だけではなく“買う”も“見る”もすべて勉強なので、服も靴も鞄も帽子も自転車もバイクもそのカスタムもノートも鉛筆も消しゴムもチビの玩具も教材も全部、全部、もう全部です。生きてるだけで勉強になる。こんな素敵な人生と仕事があるだろうか。あー楽し(笑)。
事実上「免許剥奪」だと
将来の夢はグラフィックデザイナーになる事。と、ここでも何回も書いてきましたが、今日ちょっとその目標がより明確になりました。今まではどちらかというと“自称グラフィックデザイナー”的な意味合いが強く「死ぬまでデザイナーとして生きるぞ!」みたいな感じ。もちろんそれはこれからも変わらないのですが、今日明確になった将来の夢は、「50歳で再びグラフィックデザイナーになり、30代のアートディレクターに仕事をいただく」です。ボクは「アートディレクターは人に必要とされなくなったら引退。自称アートディレクターというのは存在し得ない。」と常々思っています。年齢とかではなく引退の理由は「人に必要とされているか否か」が正しく清い。つまり、アートディレクターは資格のある職業ではありませんが、必要とされなくなったら事実上「免許剥奪」だと思っています。少なくとも自分自身はそういう緊張感と誇りをもってアートディレクターを名乗っている。下手したら明日免許剥奪されてしまうかも知れないから。ただデザイナーというのはもう少し定義にゆとりがあって、“自称”というカテゴリーが存在するのは事実。若い人でも大御所と言われる年齢の人でもそれは存在する。ぼくも65歳で事務所を引退して前述の通り“自称グラフィックデザイナー”としてマイペースに絵本でも作ろうかと思っていました。ただよく考えたらそれはつまらない。やはりグラフィックデザイナーとしても人に必要とされたい。「そうだ!若手のアートディレクターに仕事をもらえるようなグラフィックデザイナーになろう!」となったワケです。言い換えると今36歳の自分が仕事をお願いしたいと思えるような“グラフィックデザイナーのおっさん”が目標。それはスキル、オリジナリティーはもちろん、理解力やスケジュール管理能力、キャラクター性などあらゆる能力を兼ね備えていないと20歳近く年下のギラギラしたアートディレクターに仕事はもらえないということになります。さあこれは困った。惰性で生きていても到底たどり着けない領域だ。しかしかなり明確になって正直すごくすっきりした。もっとリアルに考えると「あと15年後、マサオくんに仕事をふってもらえるようなグラフィックデザイナーになる」となる。問題は15年後、マサオくんが40代になっていることだ(笑)。
ピリオドの向こう側に。
ボクは地方都市で活動する無名のアートディレクターですが、ホントは死ぬまでデザイナーでありたいと思っています。というより最終的にはデザイナーになりたい。アートディレクターという便利な「言葉」を振りかざして、有能なクリエイターと合法的に仕事をし、学校でも会社でも教えてくれない素晴らしいことを毎日どんどん吸収する。デザイナーというのはボクの中ではクリエイティブの最高位。早くデザイナーになりたい。20代の頃にデザイナーを名乗っていたことを今振り返るととても恥ずかしいし、40歳になった時、30代にアートディレクターを名乗っていたことを恥ずかしく思うのだろう。ただ今でもアートディレクターという職業は天職だなぁ、と思うこともしばしばあるけど、こう考えるとつくづくいい加減なアートディレクターだ。だから、ボクが語るアートディレクター論みたいな話なんて無責任でなんの信憑性もないと思う。王道を堂々と歩くようなそんなかっこいい生き方はしていない。日々不安と戦いながら、少しずつ自信を身につけ、それでもやっぱり迷いながらかろうじて前へ進む。この先にいったい何があるのか、どこにたどり着くのか。最近、前以上にそれが分からない。でも、前へ。つまり「目指す」とかじゃなく人生は「たどり着く」ものじゃないかと。もちろん目指しながら進むんだけど、最終的にはたどり着く。仕事も一緒。一番最初に設定したゴールに、いろんな人と協力してただ移動するなんて仕事はつまらない。やはりそこにはたどり着きたい。ゴールの先の何かに。ピリオドの向こう側に。それこそがオープンエンズだ。前へ!
自分をブランドにしよう!
母校に貢献しようという思いから体験入学の特別講師を引き受けることにしました(詳しくは↑とこちら)。今まさに待ち時間にブログ更新です(お弁当ご馳走様でした。)。ゲストトークではワンピースのフランキーこと声優の矢尾一樹さんとトークセッションします。どうなることやら。体験講座では自分の名前をデザインするという内容の「自分をブランドにしよう!」です。さて高校生からどんな刺激を受けることができるか。ということより何人参加してくれるのか、そこが心配だったりする(笑)。あ、行ってきます!
復活させます。
約1年前、長女が誕生し、子育ての真似事くらいはしようと思いスタッフに無理を言って定時ギリギリに出勤して定時キッカリに帰るというのを一年間続けてみました。事務所を1人でやってた時から遅刻ゼロだったボクがついに遅刻するなんてことも数回ありました。寝る、泣く、おっぱい飲む以外何も出来なかったチビが最近では「まんま」や「かわいい」などいろいろ喋るようになり、数歩なら歩き、読んで欲しい絵本を持って来るようになり、ゴハンもいろいろ食べられるようになり、大人のような匂いのウンチをするようになり、嫌な事は首を振って否定し、名前を呼ぶと手をビシッと上げ、ボクがニット帽を被って上着を着ると手を振るようになりました。さて、お父さんはこの一年で何か出来るようになったのだろうか。来月からまた5時起き&8時出社の生活を復活させます。この一年でついた差を縮める為に一秒も無駄に出来ない。ボーッとしてる間に高速ハイハイで先に行かれてしまう。
腰掛けてゆっくり休む
昨日アシスタントと話をしていてちょっと気付いたんですが、せっかちなボクは近道を探すのが好きみたいです。面倒くさがり屋で飽き性、注意力散漫で集中力が長続きしないボクが、生きていくために身に付けた術が「効率」。効率ってのは、どういう事かと考えると、とどのつまり近道なんですね。鳥の目で見渡して一番の近道を予め探す。で、地上に降り立ったら一気にダッシュする。ゴールしてから思いっきり休んでもいいし、途中で疲れたらキリのいい所まで頑張ってそこで休んでもいい。寝ている間にカメに追い抜かれてもいいじゃないか。コツコツと積み上げていくのではなく、ダァーっとやって休憩、の繰り返し。ボクが自分の性格を表現するのによく使う例えで「全力疾走でフルマラソン」ってのがありますが、実際は、ずっと全力疾走できるワケ無いので、給水所までダッシュしたらそこで腰掛けてゆっくり休むんです。だから結局カメに負けるんですが、そんなことはどうてもいい。敵はカメじゃなくて自分自身。自分のベストタイムを叩き出す走り方を知ることが重要なんだピョン。たぶん(笑)。
これ以上密度を薄く
22歳の時、3DKのマンションにボクは友達と2人で住んでいた。同居人はクラブで知り合ったレコード屋の店員さん。いつも腰までの長い髪を大きなタム(ドレッド用の帽子)に入れていた。芸大卒で多趣味。オモチャから服、音楽まであらゆる物のコレクター。広く深い知識は誰もが呆れるほどだった。そんな同居人とある時デザインの話になって、ボクは芸大を出て何故デザイナーにならないのか、と彼に聞いた(同居人は男です)。その時に彼が言った言葉は衝撃的だった。彼はこう言った。「ある時自分は、デザイナーになりたいんじゃなくて、“デザイン好き”だって気付いたんだよね〜」と。デザイナー3年目の当時のボクは、ドンキで殴られたくらいの衝撃を受けた。「自分は、どうなんだ?!」と。考えて考え抜いた結果ボクはやっぱりデザイナーになりたいと確信したのでいまだに同じ仕事を続けているし、この先も一生デザインを続けていくだろう。デザインが好き、なんていうのはちっとも変わった事ではない。デザインが好きなだけで自分に酔ってはいけない。むしろデザインは、みんな好きだと思う。シャツインな男性も、ピンクハウスを着ている女性もセンスの違いはあれどデザインはきっと好き。だからこそメディアが作り上げた“カワイイ”に踊らされているだけの人に務まるほどデザイナーは甘い仕事じゃないと思う。いや務まるかも知れない。むしろそういう薄っぺらい感性を必要としている場所もあるかもしれない。ただボクはそういう人たちがやってる偽物のデザインと同じ仕事をしていると思われたくない。そういう人と一緒に仕事をしたくない。そんなデザインをするくらいなら、ボクは取説の文字組に命を掛けるような道を選ぶだろう(実際そういう仕事も好きだ)。呼吸をしているだけで体に力が漲ってくるような、そんな酸素室のような空間にしたい。
ラジオに出ます。
どうバランスをとるんだ。
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