今でこそ毎日イキイキと楽しく生活させてもらってますが、中学の時は学校生活が上手くいかず腐っていました。かと言って思いっきりグレる勇気も、親の期待を裏切る勇気もなく、不登校という選択も思い付かないまま無気力で生き、自分が写った鏡を拳で思いっきり殴って朝から血だらけになった事もありました。幼少期から明るく活発なことが自分のアイデンティティだと認識していたので、今の状況が恥ずかしくて親にも先生にもバレないように努めていました。周りに流されてなんとなく塾に通ったりしながらテキトーに勉強して、でもそんな状況だったので何に対しても集中出来ず成績も普通かそれ以下。早くこの地獄から抜け出したいと、時間が過ぎるのをただ待つばかりの日々を送っていました。自転車が逆さになっていたり、ヘルメットに水がたっぷり入っていたり、クソみたいに陰険で幼稚な嫌がらせは頻繁にあり、クラスでは殆どの男子と口を聞くことはなく、修学旅行はどの班にも入れずにヤンキーと一緒にディズニーランドでメンチきりまくってました。そんなこんなで高校受験も失敗し、遠い田舎の学校に通うことになりました。入学前に説明会があり、こんな不便でダサい田舎の学校に行きなくねぇと死ぬほど嫌気がさして、いよいよマジで終わりにしたい、と思っていた時にラジオで聞いたのがこの曲。普段ブルーハーツばっかり聴いていたのに、これを聴いて涙腺が崩壊、声を押し殺しながら疲れて涙が出なくなるまで泣きました。この時、自分の事を知らない人ばかりの新しい環境で自分をリセットすることを決意し、人生を設計し直しました。もちろん今、その時に描いた通りには全くなってないけど、大きな方向は狂っていない。ただ、まだ辿り着いてないだけ。でももうあまり時間がない、と焦りとの戦い。本当に時間がないのかもうかも分からないくせにとにかく焦りとの戦い。今、自分の敵はこの焦り。同時に行動を後押しするのもこの焦り。焦りと冷静のハイブリッドこそが最強であり、今の自分だと思いたい。今、新型コロナウイルスの影響で、世の中が衰弱しきっている。今こそ膝を折り曲げて考え、飛び上がるタイミングを見逃すな。その時は必ず、くる。
※ダイバーシティ的に考えるとかなり時代遅れな歌詞ですがそこは悪しからず。
「男は大きな河になれ〜モルダウより〜」
歌:さだまさし
作詞:さだまさし
作曲:ベドルジハ・スメタナ
せつないことが あったなら
大きく叫んで 雲を呼べ
それでも雲で覆えぬほどの
男は大きな宇宙(そら)になれ
嬉しい時は腹から笑え
笑えば嬉しい花が咲く
心を花で埋(うず)めて見せろ
女は優しい風になれ
苦しい時こそ意地を張れ
目をそらさずに雨を見ろ
泣かずに雨を集めて そして
男は大きな河になれ
寂しいのは一人だけじゃない
歩けば転ぶ 怪我もする
そこで捨てたなら負けになる
男は大きな夢になれ
喜びは人と分かちあえ
悲しみは人に預けるな
許せる限り受け止めてやれ
女は大きな海になれ
寂しいのは一人だけじゃない
歩けば転ぶ 怪我もする
泣かずに雨を集めて そして
男は大きな河になれ
男は大きな河になれ
オープンエンズというボクの人生をかけたプロジェクトの始動から10年が経ち、事務所のリノベーションが終わり、レンズアソシエイツのスターティングメンバーが集合したあの日から約5年。2014年1月6日(色の日)の会社設立(登記完了)からは4年半が経ちました。思い起こせば、約5年前の2013年9月20日には何もないこの事務所でレセプションを開催しました。上の写真はその日の開催直前の写真。で、そのすぐ後、オープンエンズの設立記念日の10月1日(デザインの日)にこの場所に事務所を正式に移転しました。下記は、2013年10月13日のブログです。
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実は数年前から移転の計画はしていたし物件も探してました。でも創業からずっと同じ場所でやってると愛着も湧くし、最初シェアしてた他社に譲ってもらった経緯があるのでこの事務所を大切に使わなくては!との想いから簡単に移転とはいきませんでした。しかし、2014年1月の創業10周年が視野に入ってきた辺りから移転をはじめいろいろな事を考えるようになりました。その中心にあったのはパートナーのマサオくんと、もう一度OPENENDSを一から作り直したいという想いでした。OPENENDSは近年、出会いやご縁で大きな仕事ややりたい仕事が出来るようになってきてはいました。事務所の名前や存在もそれなりに知ってもらえるようになり、カンヌGOLDをはじめ大きな賞もたくさん貰いました。褒めてもらえる事が増えましたが、叱ってくれる人もきちんといて、大変ありがたい環境で仕事が出来ていることを日々実感していました。でも、ボクはそれが怖かった。人間は現状維持を求めた時点で終わり、が持論のボクにとって上手く事が進んでいることは大きな恐怖でした。もちろん大きな仕事が出来て、大きな賞がもらえて、大きな(?)お金がもらえる事は凄く嬉しかった。もっというとそれは手放したくない。でも別の道をもう一度探してみたいという想いが日々大きくなってきたのも事実。ならば!っと考えたのがOPENENDSの移転、そして新会社設立でした。
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ということでオープンエンズ、5年間大人しくしてましたが、レンズアソシエイツも軌道に乗ってきたことだし、そろそろ再始動します。ずっと「やるやる」と言ってなかなか動き出せなかったプロジェクトを3つほどほぼ同時にスタートさせるつもりです。マサオくんと一緒に開発してカミプレですでにじわりとスタートしているグラフィックプロジェクトが1つ。改華堂の小川氏と一緒に取り組むアートプロジェクトが1つ。そして2009年に発表した作品の再始動ソロプロジェクトが1つ、の3つです。ただ、今のテンションからいくとまだまだ増える可能性もあります。なんせ、5年間も大人しくしてたのですから。
モノには価値がなくなり、コトにのみ価値が存在する。という言い方はあまりに極端かも知れないが、ある意味では確実に時代はこういう方向に向かっている、と実感することが増えて来ている。同じような話で「体験ビジネス」という言い方もあるが、つまりそこに行かないと体験出来ないというビジネスモデルは次の時代も生き残ると言われている。分かりやすく日常生活している中で考えると「食事」なんかはこれに該当する。美味しいフレンチは、そこに行かないと食べられないし、窓から見える綺麗な景色も、気持ちのいい接客も、シェフとの会話もそこにしかない。その体験をデザインする、というのがこれから我々クリエイターがやるべき任務だと思う。決して「うまいメシを出していればいいんだ」という乱暴なやり方ではこれからはダメだし、少なくともボクはそういう発想の店には行きたくない(実際はたまに行きたいけど 笑)。そして、我々自身もそうありたいと思う。つまりデザインというアウトプットだけを売るのでは無く、クライアントと共に課題解決のために尽力するという過程も含めて全てをデザインしていくようにしないといけない。レストランで言うところの「綺麗な景色」や「落ち着ける空間」「ホスピタリティ」「シェフとの会話」が自分たちにとっては何に当たるのか、そんな事を真剣に考えていかないとデザインがただのモノになってしまう。レストランで食べる料理の味がある程度美味しいのは何の価値にもならないのと同じように、デザイナーが作り出すデザインがそこそこ良い、というのはもはや無価値であるという事だ。もちろん自戒の念を込めて、という前提の元に話しているのではあるけれど。
「L3F(エルスリーエフ)という名の未知との遭遇。大須田取締役の素晴らしいディレクションのおかげで、契約からものの数日でここまできました。このボロボロの空間がどうなっていくのか、まだボク自身もはっきり見えていません。解体してみないと分からない。撤去完了してみないと分からない。塗装してみないと分からない。電気通してみないと分からない。エアコンつけてみないと分からない。わかった気分にならずに、はっきりと分からないことは分からないと認識しないとトラブルが起きるので、細心の注意を払いながら進行し、決断は(いつも通り)大胆に、迅速に!正式には来年オープンする予定のこの場所。予定では2年間限定です。我々が企画してイベントを仕掛けることもありますが、できれば様々な方に面白い使い方をしてもらいたいと思っています。通常のギャラリーではできないようなことも、L3Fなら出来るかもしれません。通常のレンタルスタジオでは取れないような面白い絵がL3Fなら撮れるかもしれません。まずは通り一遍ですが「ヒトコトモノをつないでつたえる」をテーマに立ち上げます。気になる方は12月10日(日)のマシーネンクリーガー名古屋ミーティングに見学がてら来てください。
自分らしさとは何か。いい歳して毎日、毎時、毎分、毎秒、こんなことばかり考えています。昨日、入職希望者の面接をしました。弊社の取締役と執行役員が面接をしていて、途中からの参加だったのですが、なんだか盛り上がってない様子。ボクは座るやいなやいきなり彼に「将来の自分像はどんなイメージをしていますか」と尋ねました。偏った仕事の経験しかない彼は今の自分に自信がないようで、漠然とした、体のいい返答。完全に地雷を踏んでしまった彼は、そこから数分間ボクの(ほぼお説教の)熱いトークを食らうことになりました 笑。自分の未来は自分で決めるもので決して過去の経歴によって決まってしまうものではありません。「未来を決めれば、今の自分が決まる」。もう過去はどうでも良いのです。だから、思考を「今までこれをやってきたからこの経験を生かしてこれからどうするか」ではなく「10年後、こうなりたいから今のうちにこれを経験しておこう」とシフトしないと、明るい未来は手に入らない。ボクは40年生きてきてやっとこのことに気がつきました。未来の自分のイメージが描けていない人は、今やるべきことも明確になっていない。自分らしさとは何か。なんのために生きているのか。ミッションは何か。新年まであと1ヶ月半。毎年この時期は一番気合いが入ります。ボクももう一度しっかり考えてみようかと思います。
「都会への憧れを持ちながら大いなる田舎で気心知れた仲間と働きたい。でも暮らすのは田舎で、月に一回はもっと田舎に行って家族でキャンプしたい。」探し求めてこうなったわけではないけれど、この中途半端なバランスが今のボクなんだと思う。四十にして惑わずとはよく言ったもので、いろんな事を受け入れられるようになってきたし、同時に燃え上がる向上心と好奇心は今までどうりにキープ出来ている(もしくは上昇中)。他責で思考することが不幸に繋がることも学んだ。だから現状の自分の立ち位置を環境のせいにすることはない。全ては自分の責任。全ては自分の責任です。急遽、打ち合わせが中止になったのでSAで一人ランチ。なかなかこういう時間も普段持てないのでこの時間、大切にしようと思う。ただ健康に気遣う年頃なので、SAは食べるものがなくて困りますね。
今日は、夕方までmaison YWEさんで撮影。笑っちゃうくらい連日外出ばかりでほとんど事務所にいないので、もうすぐボクのデスクはなくなります(笑)。最近は移動中の空き時間にカフェなどに入るのも面倒でコンビニでコーヒー買って駐車場で仕事してます。後部座席に移動してメールを送ったり、デザイナーから上がってきたデザインをチェックしたり指示出したり、までは全部スマホ。提案書作る時は普通にMac立ち上げてデザイリングして、とあっという間に移動事務所の出来上がり〜。少し(?)大きめの社用車にしてよかった、と最近つくづく感じます。次の社用車はクーペがいいなぁ、と思ってたけどやっぱりドアは4枚いるなー、と。動かなくなるまで今の社用車は乗り倒す予定だけど、大事に乗ってれば一生乗れそうなので乗り換えの時期を今のうちから決めておこうかな。あー、楽し(笑)。
ついに最上階(と言っても3階 笑)も契約しました!ついに、夢のビル一棟借りです!!屋上も自由に使っていいと言われているので、全部で200坪が我々の手に(笑)!2018年から1年間限定でここをギャラリーのような場所として色々な人に活用していただこうかと思っています。とはいえ、これから解体業者さんにスケルトンにしてもらい、空調と電気工事だけやって基本的にはそれで空間は終わりです(1年後にはワークスペースになる予定なので)。興味のある人はLENSのWEBからお問い合わせください。実は来月12月10日(日)にプレオープン代わりに、「マシーネンクリーガー名古屋ミーティング」が開催されます!新着情報はこちらのブログにて。
連日、打ち合わせ、ブレスト、企画会議、経営会議、取締役会、取材、撮影、ディレクション、チェック、プレゼン、そして移動。ボクの毎日はこれらのうちのどれかか、もしくは組み合わせ。例えば昨日は、午前中に撮影(途中で抜けて)、昼からプレゼン、夕方からクライアントの取締役とミーティング。今日は、1日スタジオに籠ってブランディングを担当している寿山の撮影@maisonetteです。撮影自体が刺激的なのはもちろん、合間のおしゃべりも様々なヒントがいっぱい。
今年も残すところあと約2ヶ月。と、この時期になると毎年「年明けにダッシュできるように、年内に整理するぞ!」と様々な整理整頓が始まるわけです。もちろん、クローゼットや事務所の書類、デスクや書棚の整理などもやるのですが、一番大変なのが会社の仕組みの整理。つまり、役割分担であったり、それぞれの権利と義務の確認、フォーメーションの検証&確定など、日々違和感を感じながら忙しさにかまけて後回しにしていることを、秋から冬にかけてのこの時期に一気に解決します。ランチ取締役会でも、事務所のミーティングでも、基本的に毎日「問題の根源はどこに?」「最良の解決法は?」「今すぐできることを今すぐ!」の繰り返し。みんなボクとこの時期に話するの嫌だろうなぁーっと思いつつ(笑)、決して諦めません。会社を経営するとはこーゆー事、リーダシップとはこうあるべき、と正しいのか間違っているのか全くよく分かりませんが、得意の根拠のない自信であと2ヶ月駆け抜けます!
43歳になった事だし、というわけでもないけど、改めて睡眠について考える。4年前からしばらくは、まだ子供が小さかったので生活のリズムがつかめずにいろいろ考えた末にたどり着いた、「深夜2時半起きの仕事術」を実践していた。つまり子供の寝かしつけをしながら21時頃に一緒に寝る。「あ!しまった!一緒に寝ちゃった!」ではなく、初めから積極的に一緒に寝るつもりで寝かしつけをして、場合によっては子供より早く寝ちゃう 笑 で、2時半に起きれば5時間半は睡眠が取れるので、当時のボクにとっては十分な睡眠時間。共働きの我が家は、家事を分担しているので、そこから自分の担当家事をこなした上で、メールチェックしたり、企画を考えたりして、5時半頃に子供が起きてくる、という1日の始まり。今、振り返るとちょっと異常ですね 笑 ここ最近は子供も少し大きくなり、勝手に時間が来たら自分の部屋で寝るようになったので、普通の人と同じように、24時には寝るようにして6時起床の6時間睡眠。毎朝子供と1キロ弱のランニング。ととても健康的な1日の始まり。ここで、1日を整理すると、
6時間寝て、
8時間働き、
3時間食べ(朝昼晩)、
2時間運転(通勤)し、
4時間家事・子供の世話・雑務(朝晩)をすると、
なんと1時間しか残らない!
となると、自分の時間は、仕事中と移動中に上手く組み込むしかないな、と言うことが見えてきた。事務所と車、これの快適性を上げることが豊かな人生を送ることに繋がりそうです。さあ、始めますよ!いろいろと!
42歳になりました。ちょうどいい写真がなかったので春に仕事で行った沖縄の自撮り写真を載せました(笑)。あんまり興味ないのですが後厄です。体型も体重もここ20年ほぼ変わっていないのでまるっきり安心していたのですが、先日の健康診断でLDLコレステロール(悪玉コレステロール)値が166もあり(正常値は119まで)、思いっきり血清脂質異常と言われてしまいました。とほほ、です。20〜30代は街中の移動は絶対に自転車だったし、遠方のクライアントにも電車とタクシー(時には駅から徒歩30分)を駆使して行ってましたが、ここ2年くらいは近場でも社用車でブーンと行ってしまい単純に運動不足です。前述の数字も確実にそれが影響しているように思うので、街中自転車移動の復活と深夜のウォーキングをすることにしました。ってなんつーつまらない誕生日のブログだ(笑)。豊富とかを語ろうかと思っていたのに、気がついたら健康について書いてました。まるで高齢者ですね。。。そう、42歳の抱負は、「心の声に耳を傾け、自分らしくシンプルに生きる。」です。41歳まではやりたいことは全部やる!くらいに手当たり次第に手を出してきましたが、結局バタバタしてストレスが増えるだけで得るものが少ないどころか(それは自分の事なのでまだいいのですが)、パートナーや周りに迷惑をかけまくってしまったので猛省しつつ、今後はもっとシンプルに自分らしく生きることにします。このままいくとあまり長くなさそうな残りの人生は、苦手分野の克服はとっとと諦めて、数少ない自分に出来ることだけをつなぎ合わせて生きていきます(笑)。